独立するに至った経緯 ~その2~

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はっふるぱふ寮長の人生

いつかは会社員から独立したい

いつかは自分で起業したい

そんな夢を目指している方の後押しになればと思い、私の独立に至るまでの経緯を残しておきます。

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はじめに

私は関東に住む28歳(2021年9月時点)男性です。

現在は個人事業主と法人を持ちながら生計を立てています。

私は2015年に会社に入社(社畜)となり2021年3月に会社を辞めました。

会社に6年間お世話になりました。

今、会社を辞めて早5ヵ月が経過しています。

そして2024年にセミリタイアを達成する計画になっています。

詳しくは以下を参照してください。

なぜ現在このような仕事のスタイルになっているのかを振り返っていこうと思います。

皆さんは、自分に残された残りの時間を考えたことはありますか。

そして、人生の賞味時間を考えたことはありますか。

独立に至った経緯 ~その①~ はコチラです。

新橋のサラリーマン(2016年4月)

仕事を続けて1年がたったころ。

私は新橋で働いていました。

山手線に乗って新橋のお客様先に行って仕事をしていました。

このころの私は感覚がマヒしていました。

入社前にあれだけ満員電車は嫌だ。

あれだけお金が稼げないのにこの会社に居ていいのかと思っていたのにその考えがどこかに行ってしまっていたからです。

理由は「皆同じように出社して誰も文句も言わず同じように働いていたから」です。

いつの間にか”これが社会で働くということなんだ”という意識を刷り込ましていたのです。

自分で自分がやっている仕事のスタイルに疑問を持たなくなってしまっていたのです。

周りに流されていたのです。

自分の中の当たり前がいつの間にか世の中の当たり前にすり替わっていたのです。

そんなあるときに駅のホームにいて突然「ハッ」と気づいたのです。

いま俺は新橋のサラリーマンをしていると・・・

当時の私は自分にとても嫌悪感をいだいたことを覚えています。

実家でニュースなどを見ているとグデグデに酔った新橋のサラリーマンがよくインタビューされている映像が映っていたことを覚えています。

そんな姿を見て新橋のサラリーマンによい印象を持っていませんでした。

社会の歯車の底辺の存在であると思っていました。

そんなニュースを見て私は

こんな大人になりたくない

俺は新橋のサラリーマンに絶対にならない

と思っていました。

そして月日が立ち、2016年4月に私は新橋のサラリーマンをやっていたのです。

衝撃でした。

みんながやっている事と同じようなことをすると同じ結果しか生まれないということに気づきました。

ヤバイ。

私の心にはこの3文字が目まぐるしく行き来していました。

しかし解決策がありませんでした。

世の中のみんなと同じような人生を歩みたくないのであれば今から何をしたらいいのかのアンサーが思い浮かばなかったのです。

わかっていることは「このままではヤバイ」ということでした。

資産運用を始める(2016年6月)

このままではいけないということで、2016年から投資をスタートしました。

iDeCoを始めました。

入社していた会社が確定拠出年金の制度をスタートさせたため、気軽に始めることが出来ました。

始めて株式投資を行うにあたり購入した商品は

「元本確保型」の商品でした。

このころはまだ何を選んだらよいかわからずとりあえず元本を失いたくないの一心だったのだと思います。

とりあえずわからないので毎月1万円づつ拠出していきました。

周りに投資をやっている人もいなかったので自分で調べていました。

目的は足りない年金を補うためでした。

このあたりからお金の勉強を始めるようになりました。

副業をスタートさせる(2017年12月)

2017年の年末から副業をスタートさせました。

会社は副業はOKの会社だったので、こちらも気軽に始めることが出来ました。

はじめた当初はとても怪しまれました。

なぜなら2017年はまだ副業が世間一般に広がっていなかったからです。

副業やっているよというと

友人A
友人A

なんで副業やるの?怪しい

とよく言われたものです。

仕事を複数持つという考えが当時の世間にはなかったようです。

誰になにを言われようとも私は副業は続けました。

理由は二つ

理由

① 一生会社で働き続けることが嫌だったから

②今後、常識になる非常識をやらないといけないと考えていたから

会社員で終わる人生が嫌

一つめの理由は一生会社で働き続けることが嫌だったからです。

嫌なら今日から何かしないといけないことはわかっていました。

だから副業を始めました。

本業の会社員の仕事が終わってから副業に専念する。

平日は副業のためにどうしたら早く帰宅できるか考えていました。

土日は副業が出来て嬉しかったことを覚えています。

たった100円でもお金を稼ぐことが出来た時はうれしかったです。

将来常識になる非常識を見つける

常識とは何なのでしょうか。

私は常識は人口の9割の人が作っていると考えています。

みんなが「そうだよね」と口をそろえて言うということは、それは常識であると。

しかしこの常識を信じて行動しても、国民の9割の人と同じ人生を辿ることになると考えていました。

残りの1割の人と同じ人生を辿る為には、常識を信じてはいけないと考えていました。

しかし非常識なことをやっても意味がありません。

ポイントは今は非常識だけど将来常識になることをやらなければいけないということです。

この考えは一年後に当たることになりました。

2019年5月にトヨタ自動車の社長がこう発言しました。

雇用を続ける企業などへのインセンティブがもう少し出てこないと、なかなか終身雇用を守っていくのは難しい局面に入ってきた

当時の記事はコチラです。

「終身雇用難しい」トヨタ社長発言でパンドラの箱開くか
「終身雇用を守っていくのは難しい局面に入ってきた」。トヨタ自動車の豊田章男社長の終身雇用に関する発言が話題を呼んでいる。日本企業は労働者に優しいとされる「日本的雇用」との向き合い方を模索せざるを得なくなっている。

のちに2019年は副業元年と言われるようになりました。

こころの中で「ほらみろ」と思いました。

みんなが「そうだよね」ということは大体間違っていることが多いのです。

マインドブロックの解除(2018年2月)

2018年2月にマインドブロックが解除されました。

とある男性との出会いでした。

対話を重ねる中でいままで当たり前だと思っていたことがおかしいということに気づくようになったのです。

お金はいやらしいものという概念からお金は稼がなければいけないという考えになったのもこのころです。

3日間寝れなかったことを覚えています。

私の心の中は高揚感で高まっていました。

頭の中で何かが外れたようなそんな感覚でした。

求めていたものがここにありました。

私のお金を稼ぐ執念と恐れることのない行動力はここで作られたのだと思います。

いままで自分がマインドブロックにかかっていることすら気づくことはありませんでした。

怖いことにこのマインドブロックは親の影響がとても大きいのです。

幼少のころに親の会話や行動から「お金はやらしいもの」「お金は外で話してはいけないもの」という価値観がいつの間にか作られてしまうのです。

疑似FIREを体験する(2018年11月)

2018年9月に急に仕事したくない病になってしまいました。

理由はもっと副業を頑張った方が効率がいいのはないかと考えたからです。

そして私は疑似的にFIREをしようと決めました。

方法はうつ病の診断書を貰って、休職になり傷病手当金を貰いながら生活をするというものでした。

さっそく私はうつ病の診断書を貰って、会社に診断書を提出をして休職になりました。

休職になった当日はとても気持ちが軽くなった感じを覚えています。

明日からもう会社にいかなくていいんだ、もう朝早く起きなくていいんだという開放的な感覚でした。

そして私の疑似FIREがスタートしたのです。

スタートした初めの方は副業を頑張っていましたが、人間だれしも楽しい方に流されてしまします。

朝から晩までゲームをした日もありました。

朝14時に起きて、飯をくい、ゲームをして、腹が減ったら町へ出て外食をして、帰りにゲームセンターによって返ってくる

そのあとは夜食を食い、朝まで漫画を読んだりゲームをして、8時に寝る

こんな生活を毎日のようにしていました。。。。

そして2カ月がたったある日。

このままでは人間ダメになると考えて職場復帰の準備をして職場復帰をしました。

私の疑似FIREは4カ月で終わりました。

この経験で学んだことは、FIRE後も何かやることを見つけておかないとダメ人間になるなということでした。

そして私はこの後の福岡の出張を機にさらに新しい出会いをするのです。。。

 

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