靖国神社の遊就館は涙なしでは周れない

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はっふるぱふ寮長の人生
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結論

日本人は一度は足を運んでもらいたい場所だと思っています。

はじめに

とある日に「靖国神社」に行ってきました。

目的は参拝ではなく、遊就館に展示してある特攻兵の手紙と特攻兵器です。

日本の歴史の中で一番興味があるのは、戦争です。

その中でも、特攻にとても興味があります。

靖国神社のほかに、鹿児島の知覧や山口の大島にも言ったことがあります。

そして以前から靖国神社にも特攻兵器が展示されていることを知っていました。

タイミングがあったのでこの際に行ってみることにしました。

靖国神社へ入る

まずは靖国神社に入りました。

入り口には警備にあたる警察官が何人もいました。

靖国神社の周りにも警官が循環していました。

政界の方も参拝する場所なので、警官が多かったのでしょうか。

休日ということもあり、多くの参拝者の方がいました。

年齢層は高かったです。

50歳~70歳の方が多かったです。

他には小さな子供を連れた家族や一人で来ている方もいました。

 

ここで余談ですが、私は鳥居をくぐる際に礼はしません。

理由は神の存在を信じていないからです。

礼をするということはここに何かがいることを信じているという表れであると考えています。

悲しく辛い時や悩んでいる時に他者に救ってほしいと思うことはありません。

それはすでに他力本願の姿だからです。

自分で現状の壁を打ち砕いていく方が性格に合っています。

私は自分を信じています。

ゾロも言っていました。

引用:ワンピースより

遊就館に入る

靖国神社の中に遊就館があるので道を進んでいきます。

そして遊就館の入り口に到着しました。

休日にも関わらず人は少なかったです。

入り口には、戦闘機の模型がありました。

いわゆる有名な零戦です。

名前は聞いたことがあるものの、実物大の大きさを見たのは初めてでした。

この他には、機関車や大砲などの兵器も展示されていました。

 
入館料1000円を払って入館しました。

受付の方に確認したところ館内は撮影禁止とのことでした。

しかし特別展示室のみ撮影可ということでしたので特別展示室の写真をたくさん紹介したいと思います。



特別展示

特別展示室には特攻関係の展示物と戦闘機や弾薬などが展示されていました。

酸素ボンベだそうです。

やはり大きいですね。

こちらは戦闘飛行機の車輪です。

今でいう、トラックのタイヤぐらいの大きさがありました。

かなり大きいです。

こちらは人間魚雷(回天)の断面です。

この中に人が入って、操縦します。

中にぶら下がっている、水中カメラを見て操縦して敵艦に特攻するのです。

こちらは回天の説明です。

過去に大島の回天記念館に行ったことがあります。

そこで回天についてはしっかりと勉強しました。

人間を兵器の一部にしてしまうという畜生の荒業です。

人間の命を戦争兵器の部品の一部にしてしまったのだから

決死と必死は全く意味が違います。

戦争に行ったからといって必ず死ぬわけではありません。

つまり戦争に行くこと事態は決死なのです。

しかし特攻は必ず死ぬのです。

つまり必死です。

戦時中の日本軍が追い込まれていたことが読み取れます。

ここには戦時中に使用されていたであろう様々な備品が展示されていました。

水筒やヘルメット、時計、ポンプなど様々なものがありました。

コチラは戦時中に使われていたであろうシャベルです。

シャベルには「戦友の霊よ安らかに眠れ」と書かれていました。

このシャベルを使って戦死した友を埋葬していたのでしょうか。

弾薬です。

人が2人いないと運べないような重厚感と大きさがありました。



主砲です。

おそらく戦闘艦の主砲に使われていた弾薬でしょうか。

戦闘艦の砲台です。

戦闘艦に使われていた鎖です。

とても太く傷だらけでした。

実際に使われていたものなのでしょう

戦闘艦の砲台です。

当時の戦車です。

人が2人ぐらい入れる大きさでした。

魚雷の内部です。

なんかよくわかりませんが、とりあえず配管が複雑です。

魚雷の説明です。

もともと魚雷は潜水艦や戦闘艦に装備されていました。

この魚雷を改造して人間が乗れるようにしたものが、人間魚雷(回天)です。

人間魚雷(回天)の先頭部です。

威圧感がありますね。

回天の説明です。

回天で戦死した搭乗員は89名、整備員は36名、殉職自決者は17名だそうです。

もともと回天は秘密兵器とされていました。

回天の搭乗者を募集するときも、どのような兵器なのか説明がありませんでした。

当時募集に応募した搭乗員は大島と言う訓練施設に連れてこられてから初めて人間魚雷の存在を知ったのです。

当時はまだ搭乗員を育てるところからスタートだったため訓練中に亡くなってしまう方もいたそうです。



回天の説明です。

人が一人やっと入れるスペースがあります。

前が常に見えているわけではありませんので、自分がいつ死ぬかわからない恐怖と戦いながら操縦していたことでしょう。

回天に登場して特攻を試みる前に遺書を書くことが許されていました。

そのなかでも特に貴重な肉声の遺書がありました。

ボタンを押すと肉声で遺書を話す青年の声が聞こえました。

その声には一切の迷いはなく明日死ぬ男の声か疑いました。

彼らには彼らなりの特攻する理由があったのでしょう。

または特攻をする理由を自らで作らないと冷静にはいられなかったのかもしれません。

潜水艦に搭載された回天です。

敵陣近くまでこの潜水艦で移動して、射程範囲に入ったら回天に搭乗して特攻をかけます。

潜水艦の説明です。

人が操縦しているため敵艦に当たる確率が高くなります。

日本の報告では敵艦を沈めたという記録が残っているのですが、アメリカの記録と日本の記録を比較すると撃沈数が一致しないのです。

つまり敵艦に当たることなく、戦死した特攻兵もいたということになります。

例えば海底に擦ってしまった、敵艦の罠(網)に引っかかってしまった、回天の損傷でうまく動作しなかったなどです。

人を乗せるにはまだまだ早すぎた「ただの欠陥品だった」ということでしょう。

その他の展示品

今回私は特攻兵器を目的に見に行きましたので、特攻兵器の紹介が多かったですが遊就館には過去の日本の歴史がしっかりと紹介されています。

歴史が好きな方なら是非行ってみて頂きたいです。

入館料1000円の価値は十分にあると考えています。



所感

定期的に足を運びたいところだと思いました。

現代に生きる私たちは、自分が近々死ぬということを考えて生きていません。

いつまでも自分の命が永遠に続くようなそんな気がしている方が多いと思います。

だから永遠に湧き出る湯水のように時間を浪費してしまっているのです。

特攻に向かった彼らには自分の命の終わりが見えているのです。

自分に残された時間をどのように使うのか、だれのために使うのか、現代に生きる我々は彼らから命の使い方を学べると思いました。

遊就館には特攻に向かった方の遺書が展示されていました。

遺書の内容はきれいでした。

他人に対しての愚痴や妬みなど一切ないのです。

遺書として残せる文字数は限られています。

彼らが残す言葉は、「愛する人に向けて」「子供に向けて」「親族に向けて」など様々です。

そして彼らはのちの日本が復興すること、豊かな国になることを信じて特攻に向かったのです。

彼らの屍の上に私たちの生活が成り立っているのです。

まずはここを再認識するのです。



 

この記事を読んでいるあなたに問いたいです。

昨日のあなたはどんな時間の過ごし方をしましたか。

あなたの昨日の時間は特攻に向かった彼らが生きたかった時間なのです。

あなたに残された時間を誰のために燃やすのか今一度考えて頂きたいです。

別に大きなことをしよう、偉大なことをしようと言っているわけではありません。

ポイントは「燃焼」しているかです。

自分がやりたいことに熱中出来ているのかと自問自答してほしいです。

私は自分がやりたいことの中に自分の使命があるのではないかと考えています。

使命とは「命」を「使う」と書きます。

あなたは誰のために命を使いますか。

まとめ

私は戦争を美化したい、肯定したいというつもりは全くありません。

戦争は真っ向から反対です。

しかし特攻はたった70年前に起きた事実なのです。

この事実を忘れないでほしいのです。

そして歴史から学んでほしいのです。

回天について詳しく説明している書籍はコチラです。


自分の人生のドラマの主人公になっているのか

他人の人生を歩んでいないか。

自分が自分の人生を生きているのか

また、自分が自分の時間を生きていないと感じた時にまた遊就館に行きたいなと思いました。

ここで私が定期的に見ているYouTubeを紹介します。

神風特攻隊員たちの遺書

また面白いところに行ったら記事にして紹介していきます。

今回はここまで

それではまた次回!

コメント

  1. Tのひと より:

    遅ればせながらこんにちは!
    貴重な資料の数々をご覧になったようで、遠隔地にいる私にはうらやましい限りです…
    老婆心ながらいくつか補足説明をば。
    白くて大きな砲弾は、ご推察のとおり、戦艦の、しかもあの大和型二番鑑、戦艦武蔵の主砲弾ですので、直径46センチの大迫力だったかと思います。
    陸軍の九七式戦車、通称チハはあのちっちゃい車体になんと4人が乗っていたそうです。当時の日本人は小柄だったとはいえ、各国共通の戦車兵の苦労が垣間見えますね。
    回天、非常に目をそむけたくなるような兵器ですが、かといって無視するわけにもいきませんよね。新兵器を作る余裕のなかった日本軍が余った艦載用魚雷を再利用した、悪魔的に合理的な兵器です。過大な戦果報告は、それこそ肉眼で確認することもできず、音だけで命中を判断せざるを得ないような戦局のほか、せめて華々しい戦果を挙げて散っていったと信じ、報告してやりたいという潜水艦乗組員の心情もあったのかもしれません。それが正しいことなのかはともかく、戦争を繰り返すべきではないという思いを強くさせられるものです。

    • hufflepuffdm より:

      Tのひと様

      ブログの筆者でございます。

      コメントありがとうございます。
      また貴重なご意見もありがとうございます。

      確かに特攻兵器から目を背けることはできませんよね。
      現代人に受け継いでゆきたい大切なことですね。

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